メンタルクリニックに通院しながらはたらく私の日常

ここでお話しするのは初めてかもしれませんが、「田町のジョブコーチ」である私は、かつてメンタルクリニックに通っていました。最初に受診したのは約10年前で、以来5年ほど通っていました。そして実は最近、2カ月に1度の頻度でまた通院しています。2カ月に1度なので、それほど症状が重たいわけではありません(自分の感覚としては)。でも不安や焦燥感がそれなりにあって、なかなか安心してはたらくことができないため通院を再開したのです。

1度通院経験があると、メンタルクリニックに通うハードルはぐんと低くなります。私の中ではもはや、内科や外科に通院する感覚とあまり変わりません。そのせいか、あっさりとここで書けているのかもしれません。

2か月に1度の通院で、2種類の薬を貰います。日常的にずっと調子が悪いわけではありません。突発休を取るのは2か月に1度くらい。午前休・午後休は月に1~2度程度です。夜一睡もできないとか、食欲不振とか、不安で突然涙が出るなどの症状は一切ありません。ただなんとなく「低調」だったり、周囲のネガティブな言葉に「がーん」とダメージを食らうことが、ほかの人の1.5倍くらいある感覚と言えばいいのでしょうか(あくまでも個人的感覚です)。「打たれ強さ」が、周囲の人に比べると7~8割くらいしかない感覚です。そのダメージを薬で補っているイメージです。

手帳は「生活をフォローするツールであり権利」

精神・発達障害者が多い特例子会社で定着支援業務をしているという仕事柄、障害に関しては一定の知識があるつもりですし、入社後精神障害者手帳を取得する社員のフォローを行ったこともあります。あるとき、何気なく主治医に「自分も手帳の取得は可能でしょうか?」と聞いてみたことがあります。すると医師は即座に「必要ですか?でしたら診断書を書きますよ。ちなみに、取得する理由は何ですか?」と、わりとフランクに尋ねてきました。

実はそこまで深く考えていなかったので、「通院費用などを考えると取ったほうがいいのかな、と……」と答えました(※手帳を取得すれば医療費が1割負担になるのです)。すると医師は「それはいいですね。手帳は生活をフォローする一つのツールであり権利ですから、取得するのはいいと思いますよ」と笑顔。この答えに、なるほど、と思いました。

それまで、「精神障害者手帳を取得すること」はすなわち「自分が障害者であると証明されること」という認識でした。しかし「一つのツールであり権利」と言われ、“目からうろこ”でした。そして同時に、改めて「手帳あり/手帳なし」「精神障害者/健常者」の線引きが分からなくなってしまいました。

「持つ・持たない」の境界線はどこにあるのか?

以前、当社の当事者社員と話す中で「手帳のあり/なしは、例えば普通の骨折だけで済むのか、骨折後に後遺症に悩まされるかの違いみたいなものです」と教えてもらったことがあります(※これも個人的見解で、症状や病歴などによって見解はさまざまあると認識しています)。その言葉を思い出し、また今回の医師の話を聞いたことで、ますます線引きや違いって何だろうと考えさせられています。

最近は、そもそも線引きではなく“延長線上にある”ということかもしれない、とぼんやり考えたりします。「違い」を厳密に考える必要はないかもしれません。

精神障害者手帳の取得に対する解釈はなかなか難しく、デリケートな問題です。今回書いた内容にも反論があるかもしれませんが、あくまでも「選択」を考えている個人的見解であるとご認識いただけますと幸いです。引き続きこのテーマについては考え続けたいと思います。
今回は(も?)モヤっとした内容で失礼しました…!