job coach

社員の悩みや課題に向き合う「田町のジョブコーチ」が、障害者雇用の日常やちょっと役立つノウハウを紹介する当コラム。今回は、第12回でも取り上げた「距離感」について再び取り上げたいと思います。前回は定着支援担当としての立場からお話しましたが、今回は当事者としての実体験から「どんな距離の取り方をしてもらえると安心できたか」を振り返ってみます。今回も、「正解」ではなく「一つのケース」として参考にしていただければ幸いです。

復帰できたのは、友人たちの距離感のおかげ

私が以前メンタルクリニックに通っていたことはここでも何度かお話しましたが、実はその少し前に、「不安神経症」と診断されたことがありました。

ある年の3月に移住先の沖縄で発症し、6月に会社を辞めて九州の実家に帰り静養。同年9月に上京し、一人暮らしをしながら都内でフリーライターとして仕事を再開しました。我ながら、なかなか早い復帰だったと思います。

なぜ、比較的早い時期に復帰できたのか。ひとつは症状が軽かったこともあるでしょう(服薬期間は約5年)。しかし、それよりも確実なもうひとつの理由は、周囲の人々に恵まれたからだと思っています。私のことを心配しながらも、一挙手一投足まで気に掛けるわけでもなく、心配していることをほとんど言葉にせずに、これまで通りに接してくれました。

みんなの距離の取り方になんだか安心感を覚え、「いまのままでも良いのかもしれないな」と切羽詰まった心に余裕ができたことで、回復に向かえたのだと思っています。

私が動き出せるよう、急かさずそっと促してくれた

発症当時、私は移住先の沖縄で、旧友たちへの近況報告や好きな沖縄についてのブログを書いていました。ところが発症直後から、ブログ内容は「闘病日記」に様変わり。それを見た東京の友人が「●●(私の名前)がヤバイ!」と、飛行機で駆けつけてくれたことがありました。

しかしうちに泊まったその晩、友人は特に私のことを心配するわけでもなく、「せっかく沖縄に来たので旨い沖縄そばを食べたい」「普天間基地を見学したい」「世界遺産を回りたい」と自分のやりたいことを連呼。

友人は車の運転が苦手なので、当時発症後で寝たきりに近かった私が運転手になり、沖縄本島中を一緒に走り回りました。いま思えば「家の中にいるよりも外に出ようぜ」という友人なりの気遣いだったのでしょう(違うかな)。すんごい疲れましたが……。

その後静養のために実家に帰った時も、家族や友人は「あそこのラーメン食べに行くか」「フットサルやるから来い」「飲んでいるからいまから出てこい」などとても自然な形で(と私が感じるように)接してくれました。

あまり覚えてないのですが、「大丈夫か?」「早めに休めよ」「何かあったらすぐに相談するように」「ちゃんと通院しなさい」みたいなことは言われず、私自身が動き出すのをそっと待っているような、もしくはちょっと遠くから観察するような距離感でした。

適度な距離感は人によって違うから

この距離感は上京したあとの友人・知人も同様で、そのおかげか、焦らず急がず自分のペースで「回復」できたような気がします。きっと、周囲の人々が私のことをよく知っているからこそ取ってくれた距離感なのだと思います。「こいつには、これくらいの接し方がいいはずだ」と。

とはいえ、これはあくまで私の個人的感覚。もっと寄り添ってほしい人もいるでしょうし、逆に静かに一人っきりにしてほしい人もいるでしょう。当時の私の周りの人々が取ってくれた距離感は、“私にとって”、とても安心できるものでした。

私の支援におけるスタンスは「まずその人と話してみて、関係性を築いて、その人にとってできるだけ最適な距離感で接する」ですが、これは以上のような個人的経験があるからです。ひょっとしたら専門家からは「ちょっと違うな」と言われるかもしれません。

自分のスタンスを大切にしながらも、自分のやり方で押し通すのではなく、さまざまな意見と当事者の声に耳を傾けながら、より目の前の人が安心できる存在になれるように、自分が受けた恩を返していきたいと思います。